設立者紹介

仲間と共に、在宅看護の魅力や力を広め、健やかに暮らし、穏やかな死を迎えるために力を尽くしていきたい.

子どもの頃、ナイチンゲールの絵本を読んで、クリミア戦争で負傷した兵士の世話をするナイチンゲールの姿に魅かれた。「誰かの役に立ちたい!困っている人の世話をしたい」と思い、看護の道を選びました。しかし、お勉強ができる子どもではなかったので、看護大学はあえなく撃沈。看護学校にすすみました。看護計画を立てることが苦手で、ほめられたことはなく、実習が苦痛だった思い出があります。

卒業後、千葉大学医学部付属病院の血液内科に就職しました。出来の悪い私は、幾つもの失敗をしました。そのたびに厳しく叱られ、当時、プリセプターだった大先輩はあたたかく見守ってくれていたものの手を焼いていたと思います。就職して2年目には、循環器内科が主で膠原病や糖尿病など内分泌疾患を扱う科に移動。ここが一番長く働いていたところで、最も多くのことを学びました。厳しい上司はいましたが、仲間同士で何とか乗り越えてきました。看護の世界も人間関係は重要です。この時代には、看護研究を任され、課題に取り組みながら分析結果を記述していましたが、心身を病んでしまいました。看護研究って何?やりたくない~って思いましたが、上司からの指示で従わざるを得ず、自分は断れない性格でした。

約10年が経過した頃、看護に対して”あいまいさ”を抱くようになりました。1+1は2じゃないの?と。白黒はっきりさせたくなった私は、数学を学びたくなりました。近くにそれを学べる学科がなかったので、周囲に相談し千葉大学の工学部に入学しました。今の時代はキャリアアップに職場が協力的ですが、当時は、二足のわらじをはいてても勤務の配慮がなく、苦労しました。段々、からだがきつくなって退職。それでも仕事がないと暮らしていけない為、虎の門病院の循環器センターに就職し、夜勤専門看護師になりました。

工学部を卒業後、大学院にすすもうと試験を受けて通過しましたが辞退。先のことを考えると、自分に自信を持てませんでした。基礎にも自信がないし、学位論文は指導教官の研究をお手伝いした研究のため、オリジナリティを持って発展させていく自身も持てませんでした。ちょうど指導教官が岡山大学に移動になり、私は縁あって静岡に移動になり、様々なことが重なり、数値計算を用いたシミュレーション研究の道を断念しました。

静岡に来てから、常勤看護師の求人を探していた私は、これまた縁あって訪問看護ステーションに就職しました。やっぱり私には看護師が向いているのではないかと思ったこと、看護師として働いてきた年数が長いため、他の世界にいく勇気がなかったこと、当時の事情で夜勤ができなかったことなどが重なり、晴れて訪問看護師になりました。訪問看護って何?そんな真っ白なところからのスタートでした。

新規開業の訪問看護ステーションに就職し、そこではじめて新規開業の大変さ、訪問看護の魅力と難しさを知りました。それでもその魅力と難しさが私に火をつけ、探究したいと思いました。一念発起し、千葉大学大学院看護学研究科訪問看護学専攻に入学。”訪問看護学専攻”なのだから、どれだけ専攻なの?行きたい!とただそれだけでした。訪問看護師として3年も経験していない新人が極められるわけもなく、ひたすら自分で調べ、教えてもらい、また調べの繰り返し。研究者を育てるためのところだとうすうす気づいていましたが、その意識がはっきりしてきたのは卒業してからだいぶ経ったあと。

静岡に戻った私は、はじめに就職したステーションではなく、新しいステーションに就職しました。ベテランが多い、大規模ステーションでした。あたまでっかちで学んできたことは多いわりに経験を伴わないため、苦労しました。そこでも相変わらず、出来の悪い部分を発揮し、患者さんや家族からお断りされたこともあり、激しい落ち込みに苦しみました。まわりで飛び交う「がん末がさ~」「アルツがさ~」に「は?なにそれ???」でした。みたことがない。循環器が長かったから、外科は短くて経験値が低い!とにかく、勉強不足を感じていました。

わたしが今のわたしになったのは、現場で学ぶことができたからです。仕事をしながら、わからなければ自分で学び、患者さんやご家族から教えてもらったり、会話のなかで気づいたり、振り返りをしながら学び続けました。いつの間にか、在宅看護の深みにはまり、スペシャリストになりたいと思うようになりました。首都大学東京の科目履修をしたり、在宅看護専門看護師の実習場所の訪問看護ステーションに数日研修に行ったり。そして、山梨県立大学大学院看護学研究科在宅看護学専門分野に入学し、働きながら、長期入学制度を使って卒業。試験を受けて、2020年11月29日に在宅看護専門看護師の資格取得をしました。

看護師のひよこ時代の私が、ここまで成長できたのは、同僚や恩師の先生方、患者さんやそのご家族の方々のお陰だと思っています。何かの運命に導かれ、静岡の地で開業することとなりました。私は、在宅看護専門看護師として、地域の皆様のお役に立てるよう誠心誠意込めて社会貢献していく所存です。ないものはつくる、制度や法律は後からついてきます。これまでの学びを活かし、研究も行い、行政や世の中に働きかけることもしていきたいと思います。看取りや介護、老い、疾病予防などについて、地域住民が学び合う場もつくっていきたいと思っています。やりたいことはたくさんあります。これから私とおなじ思いを抱く仲間をつくり、事業を展開していきたいと思います。

瑠璃の邑は、医薬の導師である「薬師瑠璃光(薬師如来)からいただきました。人々の健康と命を守り、よりよい生活の支援をするスタッフ(瑠璃)が集まる邑(事業所)です。仲間と共に知恵と工夫と笑顔で、人々の苦しみや痛みを癒す事業所を目指します。新卒訪問看護師の育成にもいつか取り組んでいきたいと思っています。仲間と共に在宅看護の魅力や力を広め、健やかに暮らし、穏やかな死を迎えるために力を尽くしていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。